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  • 執筆者の写真バイタイム_西村 昭二

「広告クリエイターの受賞歴とWORKS」が意味をなさない理由

更新日:2023年3月23日

著者は17年総合広告代理店時代に勤めていたが、総合広告代理店には変わった習慣がいくつもあった。その中の一つに、クリエイターの広告賞受賞歴とWORKSがある。クリエイターの自己紹介とは、「広告賞受賞歴」と過去の仕事である「WORKS」がメインとなるのである。いわゆる「ハロー効果」を期待してのものが多いが、そのクリエイターが過去に担当したものと、これから担当するかもしれない広告対象物とは何ら関係がない。広告主も気づき始めているこの「広告受賞歴」と「WORKS」の2つを提示するという、古来からの商慣習について、本稿では説明していく。


目次:「広告クリエイターの受賞歴とWORKS」が意味をなさない理由


クリエイター自己紹介の必要性

高額な広告制作を、どこの誰なのかわからない人にお願いしたくないことは、どの広告主も同じであろう。そこで、過去の実績を見て評価することが多い。クリエイターの場合、自らの「広告賞受賞歴」と、過去「関わった」広告制作物、つまりは「WORKS」を提示して、広告主と契約を結ぶことが主流であるが、この「広告受賞歴」と「関わったWORKS」で選ぶことに対して広告主は疑問に思うに違いない。そこが、広告業界の一風変わった商慣習なのである。


広告受賞歴の「正体」

日本に、そして世界にも、数多くの「広告賞」が存在する。正直、広告主からすればそのどれが「凄い」ことなのか全くわからないであろう。確かに、映画などであれば賞が存在するのは頷ける。その作品の観客動員数が多ければ多いほど、世の中に受け入れられるにいたった理由があるからだ。しかし、広告はあくまで広告主のためにある。広告主は商品やサービスを売るために広告を行ったのであって、社会に対する風刺のためでも、広告自体を話題化させるためでもない。それにもかかわらず、まるでその広告が「広告クリエイターの所有物」かのような顔をして、独り歩きすること、ましてや広告クリエイターの「売り物」になるのは本末転倒である。まずは、「広告賞」が広告主の手から離れ、広告クリエイターのものになっていることを認識しなければならない。



広告主は「広告賞」を重視していない

自らに無関係な「広告賞受賞歴」は広告主にとっては全く関係がない。広告主が求めるクリエイターの要件は、広告対象物を、正しく計画通りに売上につなげていくプロセスとして、必要な広告制作のスキルを持ち合わせているかどうかだけである。その点においては、「広告受賞歴」よりも過去の「WORKS」の方が参考になる。他の広告対象物をどのように表現することを得意としているのか、がわかるからだ。ただし、このWORKSについても、疑問を持つ広告主が多いのも事実である。


「関わった」だけの「WORKS」が溢れている

さて、「WORKS」というものも、大きな問題を孕んでいる。それは、どのように関わったのか、が不明である点だ。今、有名になっているクリエイターで、「有名なCM」を「どの立場」で「どういった裁量を持ちながら」対応し、結果的にその「広告対象物は成長したのか」、について語れる人は極めて少ないのではないだろうか。広告出稿量が多くとも、そもそも通信業や車体メーカーなどは広告依存度が極めて低く、売り上げを100とした時の広告投資比率は、1%にも満たない。たとえそのビジネスが成長していたとしても、それは99%以上が広告ではない要素によってもたらされているのである。過去「WORKS」の広告への依存度とクリエイターの関与度の双方から、そのクリエイターをジャッジしなければならないのである。



提案内容を見るほかない

広告クリエイターは、「広告受賞歴」や「WORKS」などのハロー効果に依存しようとするが、やはり実際の提案を見てみないことには選定できないのである。それも、必ず「企画書の美しさ」と「クリエイティブ案としての正しさ」を分けて考える必要がある。残念なことに、「提案が採用されるまで」が仕事と考えているようなクリエイターが多いため、企画書は実に美しい場合が多い。しかし、実際に提案を採用してみると、提出期限を守らない、広告主の言うことを聞かないなどはざらにある。こういったことを防ぐためにも、あくまで企画書の美しさではなく「クリエイティブ案の正しさ」だけで選定することをおススメする。


提案内容の正しさの見分け方

次に、どういう提案内容が正しいのであろうか。広告主は最低でも4つの視点を持たなければならないと考えている。1つ目は「市場ランクにおける正しさ」である。よく広告クリエイティブで起こっているのは、シェアのランクが2位以下にも関わらずシェアのランクが1位かのような広告となってしまうことである。どうしても、「でかいこと」を言っている方が耳障りが良いため、「でかいこと」を言っている案を採用しがちになる。しかし、それは間違っている。この意識が最も抜けやすいため、まずは一番初めに気を付けなければならないことである。2つ目は「タグラインとキャッチコピーの役割が正しいこと」である。広告対象物が市場を動かそうとする意志は商品に近いタグラインとして置くことが正しい。しかし、アイキャッチとなるキャッチコピーは「ターゲットのベネフィット」でなければならない。そうでないとターゲットは振り向いてはくれないのだ。「ベネフィット」とは基本的には人の欲求をどのように刺激して動かすかにかかっているため、「マズローの欲求段階説」などの知見は必須である。そのあたりも「うまいこと」を言っている案を採用しがちになるのだが、そうではなくベネフィットをどう伝えどういう欲求を刺激しているかを考えつくされていなければならないのだ。3つ目は「美しすぎないこと」である。広告の対象は一部を除き、「多くの人」を対象としている。特にアートディレクターなどはどうしても「一部の人しか感じえない絵としての美しさ」にこだわってしまう。しかし、広告表現は決してアートではない。自己責任で芸術性の高い作品を世に出すことは構わないが、それは広告で実現すべきものではない。この点が、クリエイターから抜け落ちてしまいがちな視点である。最後に4つ目として「あくまで広告作品である」ということである。「これでCMの悩みがゼロに!?CMとドラマと映画の、「制作方法」の違い」でも説明していように、とにかく映像制作となると、まるでドラマや映画を作るかのような方向に向かってしまうことがある。例えばTVCMはたった15秒の世界だ。30秒の方が伝わりやすいのは当たり前のことであるが、人は動画広告への許容時間がどんどん短くなっている中で、「15秒では収まらない」という提案はあり得ないのである。これらは「クリエイティブの誤解~クリエイティブは左脳作業~」でも説明しているように、広告における最低限の視点を持ち合わせていないクリエイティブ案に対して、有効に働くだろう。


CM制作の機会は減りつつあり、伴って広告クリエイターの総需要も下がりつつある。その中でこれまでのような受賞歴とWORKSによるハロー効果に依存していても、クリエイターたちの需要は下がり続ける一方となる。今はこうして「広告トータルプランニング会社」である当社を設立したが、一時はクリエイターを目指した著者だからこそ、愛をこめてエールを送りたい。

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