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  • 執筆者の写真バイタイム_西村 昭二

広告がもうエンターテインメントではなくなった時代背景

更新日:2023年3月29日

経済における永遠の黒子役が広告であると著者は考えている。しかし、17年勤めた総合広告代理店において、「広告はエンターテインメントだ」と認識どころか豪語している方も存在した。そのたびに違和感を覚えていたが、本稿ではなぜ著者が広告はエンターテインメントではなく経済の黒子役と考えるかについて説明していく。


目次:広告がもうエンターテインメントではなくなった時代背景


広告がエンターテインメントの一部であった時代

戦後の日本においては、娯楽、つまり、エンターテインメントは限られていた。映画や遊園地など、有料のエンターテインメントも限られていた。そういった時代に、無料のエンターテインメントの代表がテレビやラジオであったことは間違いない。そういった時代に、人にとってTVCMは一つの「無料のエンターテインメント」であったのだろう。少品種大量生産時代の、一部の限られた大手広告主によって、好感度の高い芸能人が登場してグッとくるセリフを吐くCMは、人々に癒しや元気や勇気、そしてその商品を購入しようという意欲も時には生み出したのかもしれない。



エンターテインメントがあふれて止まらない現代

家庭内のエンターテインメントの変革は、任天堂のファミリーコンピューター、通称ファミコンが1983年に登場し、大きく変化を遂げていく。さらに、くしくも同じ1983年に東京ディズニーランドが開業することで、屋外のエンターテインメントも加速度的に進歩することになる。ファミコンから1994年にソニー・インタラクティブエンタテインメントのプレイステーションの発売で市場は激化し、任天堂のWiiやスイッチなど家庭用ゲーム機は成熟していく。屋外のエンターテインメントについては、東京ディズニーランドに続くように大阪市ではユニバーサルスタジオジャパンが2001年に登場し、レゴランドが2017年に名古屋市に誕生した。「モノよりコト」の考え方も浸透し、キャンプ場やBBQ施設なども全国的に普及している。さらに、今では若者の最大のエンターテインメントといえばSNSであろう。インスタグラムやYouTube、Twitterなどがエンターテインメントの場であることは言うまでもない。ゲームアプリもこの10年で隆盛を極め、今ではその市場規模は1.2兆円にも上っている。今の日本は、エンターテインメントが飽和状態にあるのである。



エンターテインメント飽和の中で、CMに期待すること

上記のようにエンターテインメントは飽和状態にある。人は、何もCMにエンタメ性など求めていないのである。エンターテインメントは他で十分に味わえるからだ。それにも関わらず、CMでエンタメ性を提供しようとする総合広告代理店勤務者は多いのも事実だ。CMとしての認知度や好意度を上げる努力は必要だが、それがエンタメである必要などない。なぜなら、それを高めようとしても、他のエンターテインメントサービスに勝ちようがないからだ。しかも、エンターテインメント性を高めることによって、広告対象物の存在は消え失せ、「広告のための広告」といったニュアンスが強まってしまう。そういう手を使わなければ広告対象物の認知が上がらないというのであれば、それはメディアプランに問題がある。TVをメディアとして選ばなければ良いのである。TVCMにエンタメ性を求めたブランドで、そのTVCMによってブランドが成長している直近の例を、著者は知らない。


なぜエンタメ性の高いTVCMがまだあるのか

エンタメ性の高いTVCMがそれ単体では商品ブランドやサービスブランドの売上向上に寄与しづらいことは、データ取得が容易になった今、広告主も十分に把握していると思う。しかしながら、広告主宣伝部の意地やある種企業のCSR的活動としてTVCMをとらえている企業も存在し、実はネット検索で主に購入を促すビジネスの場合は、自社ブランド名を連呼することで指名ワード検索を促し、総マーケティングコストを安価に抑えているということもある。エンタメ性を求めているわけではなく、大きな経済活動の一環としてエンタメ的な演出を至って真面目に付与しているのである。


TVCMにおけるエンタメ性を消費者は求めておらず、広告主もエンタメを演出として加えるものの、それは大きな経済活動の目的達成のためとして考えている中、総合広告代理店勤務者には「TVCMはエンターテインメントであるべき」と未だに考えている方もいる。「広告トータルプランニング会社」である当社では、こういったズレのあるご回答は差し上げないが、このズレの補正が、今後ますます重要になってくるのではないだろうか。

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